二月如月に新たな運気で

 「春夏秋冬」の季節は、少し前季とだぶりながら、暑くなったり寒さに転じたりして行くのが例年の状況でありましたが、この三四年は突然の気象変化が多かった様に思います。昨夏は連日四十度を越す酷暑となり、その夏を越す間もなく急に気温が下り始め、普通ではない早さで秋冬が一気に訪れた感じでありました。その様な年明けの日、思い掛けない北陸大地震が起きて大変な被害に襲われました事は誠に言葉にも言い表せない思いであります。日本は地震国ではありますが、十数年に一度大地震が起きる度に神仏に祈る思いであります。

ボランティアの方達のお力、自衛隊、消防隊、公的な機関の方々の努力と共に、私共が出来る事で何か助けになる事がないかと被害状況の報道を見ながら思うばかりです。

日本人は国民性として、元来デリケートで優しさを持っていると思っております。隣り近所だけではなく、何か災難が生じたり致しますと、国民の全ての人が心配をし、手助けをする思いに駆られて協力を致します。その為の礼節もきちんと心得て動かれますから、これは日本と云う国に伝わって来た人間性であり、国民性であろうと、普段人様を観させて戴いている私は殊に感じており、日本に暮す有有り難さを常に思っております自分が他国に生きる人間だったらと考える方もおられると思います。留学などで様々の学問を学びながら、知識を得て自分に厚みを与えて行く、そして自分の為、人の為に有意義な人生を送る事が出来ましたら、誠に幸せであろうと思います。あくまで日本人としての誇りであります。

 さて、二月初めは「節分」の行事で動き出します。元来インドや中国の仏教的学問が伝来し、日本に根付いた文化であります。この日を以て旧年と新年の境目となり、寺社仏閣に於て除災招福の祈願を行う大切な行事と定められております。仏教の修行僧は柴燈護摩を焚き、人々が願い事を書いた護摩木を山伏姿で炎に投げ込み、経を唱えて祈ります。「豆撒き」の振舞いは仏前に煎った大豆を供え、祓い浄めて参集した人達に撒く浄めの行事で、これからの年の安泰を願い、厄を払う事を祈るものであります。「福は内、鬼は外」と大声を出して唱え、大人子供の関係なく、楽しい一刻を持つのは誠に明るいものと思い、私の所でも毎年行い旧年と新年の除災招福を行っております。本年も節分以降は明らかな令和六年として日々確かに歩んで行きたいものであります。

政府が百年人生と言い出してから、今まであまり外に出なかった八十代九十代の高齢の方達が誇りを以て行動される様になったと思います。誠に結構な事と思います。ただ、皆が健康そのものではなく、足や腰に不安や不自由を感じている方も多くおられますから、まず自分の身体を前向きに見て、大切に考えて戴きたいと思います。若い時に働く事が忙しく、運動など余り出来なかったものですが、何歳からでも運動は出来ます。ただ、身体を動かす強弱や、関節を考えた動きや柔軟、また筋肉の動きや負担などに充分に気をつけて、年齢に相応しい運動、簡単な負担の少ない体操などを毎日十分程の時間でも続けて戴きたいと思います。御自分の血圧や血中酸素濃度などの状態も頭に入れて、無理なく行い素直に行動出来る様に努めたいものです。私の母が九十五歳になりながら元気でいるのも、三十年以上続けている朝の十分体操と、二階に自室があるので、一日に何回も階段を上下する、これが運動になっているのではないかと母も申しておりますが、精神面でも明るく生きているせいもあるかと思います。軽い動きも重ねれば大きな影響があります。

私も、もうそれなりの年齢になってきましたし、仕事と空手を支えに病を得ぬ様、強く生きたいと思っております。

コロナ禍で停滞したり無駄にした諸々を、この新しい令和六年に取り返して行きましょう。