年の区切りに

 初秋と呼ばれる九月になりました。六月以来、酷暑が続き、四季も感じられない日々ですが、暦の上では夏が過ぎて来ます。コロナ禍も中々終息致しませんが、銘々に自分を大切にして恐れない毎日を送りたいものであります。

 旧盆に当る八月十五日、御先祖様の御供養を行わせて戴き、親しくお話をさせて戴きました。一年に一回の盂蘭盆会は血筋の方達と近しくお話が出来る日であります。それを挟んで春と 秋の御彼岸は想いをお伝えして御安堵を祈り、繋がる御縁を共に供養する大切な日であります。障りなく元気で日々を送っておられるのも、ひとえに地の繋がる方々の道があったからであります。かねがねお話を致しておりますので、私に御縁のある方達は、この意味を良く御存知でありますから、護りは常に大きいと思っております。

 さて、私がお教えしている学びの中で、最も難しく何より自分を鍛える「護身法」は単に身を護るだけの作法ではありません。千年以上も伝えられた作法に私が加えて呼吸法・柔軟体操、筋肉の修練等、一点を深く学ぶ集中力を全て自分の心身に還る様考えた法の学びであります。初期から進むにつれて、普通では学べない学問であり、自分の品格が上昇するのを感じて来ると思います。習うだけではなく、難しさも楽しんで戴きたいと思います。

 「曖昧」と云う言葉があります。問いに対して答える人の性格が表れますが、全てを明らかにするよりは程良くぼかしておく方が穏やかに行くと云う日本独特の考え方であります。世間の付き合いの中には、それが王道の様に申される年配者もおられ、考え方もありますが、些か問題もあろうかと思います。話の内容、または人間関係の相違もあり、全てを明らかに話せない場合も当然ありますから、人間の情と理屈と知識も常に頭に置いて話をしなければと考えます。ただ、政治家が「曖昧」が日常茶飯事と云われる様な都合の悪い事を隠す為の態度は、日本人の恥であると思います。時代と共に日本人の意識もかわりましたが、「曖昧」の良い面悪い面を自分にきちんと大人の判断として心したいものであります。

 九月と云う月は、国によって新学期の始まりと云う所もあり、変る月と云うイメージがあります。以前から私の経験と致しまして申し上げている事ですが、九月から新しい事を始めますと、何年後何十年後に異常な事態が起きたり、巻き添えになったりする事が現れたりする不思議な現象が、御相談者に何件もあり御注意申し上げておりました。原因は未だに判然と致しませんが何年かの間に出る現象を、気のせい等と片付けずに、九月の新しい試みは避ければと私は思っております。八月末迄か十月からであればとアクシデントのない出発をお勧めします。

人生楽しく希望を持って過して行きましょう。

昔から、「笑う門には福来たる」と云われて来ました。家の中が陰気だったり、住人に笑顔が見られない家庭に幸運は訪れないと思います。家族は様々の想いがあっても、解り合えるものであります。曾て私は大らかに優しく暮したいですねと申し上げました。秋の入口に立った九月、御自分の家庭では明るく大らかな空気があったかどうか、これから寒さに向う前に振り返ってみたいものであります。人生を折角歩くのに、ギスギスした道中は、何の足しにもなりませんし、楽しくありません。思い込みではない、正しい意味の「自分を大切に」を改めて考えたいと思います。