神社に詣でる

 5月は何となく男の子を連想させます。「背比べ」と云う唱歌がありました。五月の節句は大きな鯉のぼりが空にひるがえり、女の子がお姫様を愛でるのとは全く感じが異なります。親達は、その折々に子供の成長を嬉しく思いながら祝って来たものであります。

令和五年の桜のシーズンも峠を越え、一面春であります。緑や赤の植物も活き活きと華やぎます。私達人間も、これから先に向って元気に生きたいと思います。

さて、三月三日の雛祭りの時も、五月五日の節句の時も、また朔日と十五日の神様の日も、折に触れて日本人は神社に詣でます。参詣に参りますと、大抵神社で「お御籤」と云う御神託を書いた巻紙が売られております。私は余り戴きませんが、お弟子さん達は必ずの様に買って来て、そこに書いてある言葉の深い意味の解説を問われます。大切なのは吉凶ではなく、書かれている歌に御神託の本意があります。各神社はそれぞれで、明治神宮のお御籤は明治天皇と昭憲皇太后の御生前に詠まれた御製が戒めや運の流れに依って示されておりますが、他では平安朝の文だったり、神社によって様々に示され、人として生きる良識、心得等が書かれておりますが、私は人間の知識として冷静にその文言を読む事も学びの一つと思っています。お御籤がその人に渡ったその時の運気は大吉から凶まで書いてありますが、その時の示唆としてここから始ると取っても良いと思っておりますから、さほど拘る事は必要ありません。

さて、参詣については曾てお賽銭についてお話をしております。神前には必ず賽銭箱が置かれております。多くの人は十円硬貨や百円玉など、また御縁があります様にとの願いを込めて五円玉等を入れられます。その中で私が奇異に感じるのは、お賽銭を投げ入れると云う行動であります。いやしくも神と云う尊い存在に向って硬貨を投げると云うのは、無礼な行いではないのかと問いたくなります。敬うから詣で、自分の願いを伝えて幸せに暮したいが為に手を合わせに詣でるのだと思います。投げ入れると云う行為に何か意味があって習慣になっているのかどうかは、私も解りません。私の場合、皆様にも申し上げておりますが、小さい熨斗袋に新しいお金を入れ、袋の表に自分のフルネームと年齢を書いて、二礼二拍をして箱に入れさせて戴きます。沢山の参拝客ですから、きちんと自分を名乗って神様に覚えて戴く為に、住所氏名まで書く場合もあります。袋の中に入れる金額は、その日自分が持っている範囲で、少しだけ無理をする感覚で、しかし無理し過ぎない額で、それがその時の懐状態によって、例え十円でも百円でも千円でも幾らでも良いと思います。あくまでも心と品格と礼儀の問題であります。その時三円しかなくても、素直に卑しくない心で参詣なさるのが良いと思います。神と云う存在に謹んで祈る事が出来るのが幸せであると思います。

本年は過去三年を漸く越えて、細かい制約もなく、花見も様々の集りも自由に行なわれている様であります。働き方の形態も驚く程変って来ている様ですが、自宅でオンラインで仕事をなさる方も沢山おられる様です。通勤して来た今までもよりも案外運動不足になったりする事もあるかもしれません。また、自宅で仕事するが故に仕事とそれ以外の時間の区切りが難しかったりする事もある様です。

自分や家族も充分体力の維持に心して戴きたいと思います。小さい事ですが、真直ぐに立った姿勢で伸び上がって踵を落すと云う運動を一日十回行うだけでも、身体が統一し、良い影響が凄く出ます。簡単な動きですが、気付かない身体のバランスの修正にも役に立ち、専門医も推奨している行動です。自分の健康の為にもお勧めしたいと思います。

新しい年号にも慣れて来ました。世界中問題が起きている昨今、平和な日本で暮し、自分の成長に勉められる時がある今を遠慮なく使って充実致したいものです。