新しい一年に

 一年の計は元旦にありと云う文字が昔から使われます。年の初めに今年こそ実りある良い年にしようと目標を立てて決めるのは一年の初め元旦の日にしようと云う諺とも云える言葉であります。

日本の公的な年始は四月から翌年三月末日の後と決められております。役所のシステムも学校の授業も、企業も全て三月末日に一年の終わりとし、四月から新年度が始ります。

満六歳になった子供達が、新しい色とりどりのランドセルを背負い、小学校に通い出す四月は、希望に満ちております。企業の入社式も当然の事ながら四月に行われ、日本独自の一年が始ります。

明治時代以来、整然と定められた各システムの中で、私達は戦争に悩まされた事がありましたが、今平和に暮し「自分」を生きられる事の幸せを御先祖様の想いを込めて強く感じたいものであります。

人間と云うものは、一人一人異なった性格を持ち、良くも悪くもそれぞれの生き方をしていますが、世に云う「性善説」がある様に基本的には優しく、良く考えて行動をする人達であろうと想います。腹を立てたり自分だけと思い込んだりする事は、正直申して自分を蔑ろにしているのと同意であり、成長の役には立たないと思っております。私が好きな言葉は素直であり、大らかであります。

人間同士の交流には「会話」が必要ですが、自分が云いたい事を相手に伝え、相手の返事や考えを良く聞ききちんと答えると云うのが会話の原則です。

 私は幼い頃から、この会話が大層苦手でしたが、大学に行く様になってから、厳しい教授や修行の師匠が云われる事を聞き逃さぬ様に努める事によって、現在は御相談者や皆様のお話を確実に伺い、答えてコミュニケーションが取れていると思っております。尤も私は理屈っぽいので、その点の理解は解りません。しかし、確実に思うのは、人の話をきちんと聞かなければ頭が回転してきちんと返事は出来ないと云う事です。この所社会で問題になっている認知症の方は、記憶の衰えを嘆かれますが、要は意思の疎通が昔の様には出来なくなって真剣に話が出来ないと云うのも大きいかと想います。皆年を取り、身体も心も若い時から変わって来ます。若い時から老いた時の淋しさに遭わない様、頭も身体も良く動かして、老化の訪れを阻止致しましょう。

 本年は日本中花盛りで、桃から梅、そして桜が目を楽しませてくれました。日本のひとはデリケートな感性を持っていて、靖国神社の桜の開花を我が事の様に、後何日でと待っている姿に笑いたい程、日本人らしい風景でありました。人間、感性が豊かである事は、何よりも宝であります。鈍いと料理の味も解らず、「美」と云うものが人間を潤す事も理解出来ません。まして、人の心が読めないと云う淋しい事が当然ありますから、まず自分の感性を豊かにする様、学んでみましょう。大切な一生です。

何かが違う今年を実りある努めたいと思います。

過去五年はコロナ禍もあり、また気候が大変不順でありましたから、中々平穏な日常を重ねるのは難儀でありました令和七年に至って初めて些かの落ち着きが見えて来た様に思いますから、これを機に自分をしっかり見つめて堅実が強い前向きの思考を持って行きたいと思います。それに加え、他を思い遣る心を温かく持って人間らしい社会に出来ればと思います。