秋の彼岸に向けて
暦は初秋に入りました。春の暖かい太陽、夏の碧空の下の太陽、そして秋の涼風が立つ頃の太陽はなくてはならない光であります。最近、数年の厳しい暑さをもたらす太陽は人間に取ってあまり有り難くはないのですが、この気象は神の思し召しか、歴史の中の人間の所業に対しての戒めか、我慢をしなさいと云われている様な思いが致します。水を使って涼しくしたり、エアコンの助けを借りたりしながらもう少し頑張ってみましょう。それに負けない頑丈な身体と精神を持ちたいものです。
最近、「信じる」と云う言葉を大切にしたいと考えています。言葉の中は様々の積み重ねを持つ心、精神の問題であります。自分を信じられるか、信じられる人が自分の傍らにおられるか、何を信じて生きるか、「信」の一字が自分の人生や生き方に大きな意味を持っている事を今更に考えます。
今、選挙後の騒ぎで議員をはじめ一般社会で考えられない様な失言や考えの人が話題になっています。この人と信じて投票した人の浅はかさにその人の知らなかった部分を見たりしますと、自分の思考さえ定かではない様に思えて、改めて自分を知らなくてはと思う事、しばしばの世の中を感じます。まず、自分を見ましょう。他人に自分は信じられる様な姿に映っているか、誠実で確かな人と思われているか、まずは本当の優しさを持っているか、一度見てみるのも自分の為に悪くないかもしれません。第二次世界大戦以降の教育制度の影響もあり、格好良さのはき違い
もあるやに思います。私達は日本人です。しっかり考えましょう。
さて、九月は御先祖様のお一人お一人を親しく御供養申し上げる秋のお彼岸月であります。私がいつも誇りに思うのは、御供養の席に常におられる方は、ご自分の御先祖の為に真摯な想いをおもちの方達だと云う事です。自分の血の繋がりを大切に御先祖の御供養を心がけておられますから、いつも前を向いて生きておられる方々です。自分の生き方と血筋を伝えて行く為です。誠にけじめのある考え方に感銘を受けております。私が唱える理趣経は、大層難しく、弘法大師が持って来られたお経です。
本年も心を込めて皆様のご安堵を祈らせて戴きます。
先月もその前も、ずっと「健康」を書いております。連日厳しい暑さが続き、熱射病のみならず、疲れ易かったり、大層身体に影響が出ております。いつも同じ心配をしておりますが、自分の身体を大切に致しましょう。食欲が落ちますと、必ず体調がマイナスになります。伊達に教育を受けて来た訳ではありませんから、自分の身体を元気に保つ為に、どのような栄養を摂るべきかは自然に考えつきます。一見パワーがなさそうに見える胡瓜や茄子やキャベツも充分身体に栄養を得られます。それに蛋白質や脂肪を組み合わせて頂き、そして身体を動かして行きましょう。すべて自分の為です。そして社会に強く生きる為です。若い時の注意は必ず、年を取った時に解ります。
人に信じられる人間になる為、精神的にも肉体的にも元気で明るい日常を自分に課したいと思います。
今月は彼岸花がいつもの様に咲くでしょう。植物ですが、決め事の様に秋彼岸が近づきますと必ず赤い花が咲き、一年に一回その日を知らせてくれます。まことに不思議ながら当年最後の供養を教えてくれる様に思います。