自分を造る

 どなたも「自分独りが立つ位置」を持っております。兄弟姉妹の一人であったり、学校生徒の中の一人であったり、組織の中の一人であったり、それぞれが自分だけの位置で存在しております。ただ常に他人の中の一人であって、環境の中の自分でしかありません。世の中では大抵の場合、自分が存在しているのは一ヶ所であります。したがって、人間としての巾も深さも狭いものであります。そんな中で、自分を磨いて行かなければなりません。

成長を高めて行くのには、ミスがなければ程度の単純で安易な生き方だけでは中々望むのは難しいと考えます。曾て何度か申し上げた事がありますが、立つ位置を増やして自分を大きく造って行きましょう。決められた仕事を確かに行って評価をして戴き、その他に充実した自分を作って行くのには、立つ位置を増やして様々な刺激と知識を身につける事であります。

今自分が云えるのは、生きると云う事と、行っている仕事の範疇内の事だけでは、人生の生き甲斐は如何なものかとも思いますと、詰まらないとも思います。柔軟に頭も身体も動かして、世間を見る事であります。スポーツでも良し、教養の場でも良し、趣味の世界でも良し、日常的でありながら身体の細胞に沁みて行く場は、案外手近にあるものだと思います。読むのも良し、少ない時間で動くのも良し、色々な場を知って、知識や心がけ、或いは楽しさを自分に与えてみる考え方が思いがけず自分の気質・体質にも影響がある事に必ず気付くと共に、周囲の見る目が確実に変わって行くのを気付くと思います。

しかし、他の場所を自分の立つ位置に加えるのは単なる遊びではありません。遊び心や興味がないと折角良い場に出会ってもプラスにはなりませんから、知らない事を知ると云うワクワクする気持ちは常に必ず持ちましょう。

 さて六月三十日は、一年に一度の夏越大祓祈願の行事が催され、全ての人の半年の穢れを祓い、強運招来を祈る大切な日であります。コロナ禍もあり、この数年色々な制約があって、日時がズレた事もありましたが、再び揃って強い力を以て夏越大祓の儀を祈願実行出来る日が参り、誠に安堵致します。

様々な被りや歴史的な因縁を祓い、これ以降も健康に、希望を持って生きて行ける様にと願っております。

 六月は紫陽花の美しい月でもあります。単色でありながら、誠に華やかな「あじさい」を賞でるこの季節、俗には衣替えの月とも云われます。日本には様々な云い伝えや心がけの言葉があり、デリケートで尊い日本の生き様を感じます。自分を潔く、価値ある人に、自分で造りましょう。

 五十年程前、夏越大祓で柴燈護摩の行事が大きく行われるのを知り、密教や修験道の本を読んで学んでおりましたので、その催しに参加した事があります。広い場に炎を焚き、山伏姿の僧が護摩木を沢山投げ入れ、難しい作法と共に祈願が行なわれ、終わった後の赤々と怒る熱い炭火の上を裸足で祈りながら渡られる様を拝見致しました。護摩木にはそれぞれの願いが書かれ、その炎に依って祓われました。その時の御法話で長く心に残っている事があります。山伏とは、山や野に伏す様な厳しい修行をするから山伏と云われます。山と云う文字は、縦三本を横一本で繋ぎます。仏のお働きを三つに分け、その三本を一本で繋ぐから、一心に三身のトクが備わっていると云う説明でした。仏には及ぶべくもありませんが、自分の生き方を潔く優しく参りたいと、山の一文字をも学びに致したいと思います。伏と云う文字は、常に心にある生き方そのものと考えます。打揃い、夏越大祓を意義深く祈りたいと思います。