御先祖や環境自覚への思い

 初秋に入る九月になりました。本年は年初から気温や気象の変動が激しく、「四季の国日本」からは程遠い日々が続き、酷暑が続いております。有識者は四季の国が二季になるかもしれない等と申しますが、冗談とも云えない日々であります。

コロナ禍が下火になって来たと思う間もなく、この地球の怒りの様な暑さが燃え、人間に対する挑戦の感すらあります。作り話の様な思いが湧いたり致し苦笑しますが、長い年月人間達は繁栄と成長と称し地球の土を掘り、川を堰き止め、鉄の建物を多く建てました。国の政策、事業の発展を思えば当然の事だったと考えます。しかし、これが全世界の歴史であったとすれば、地球そのものが痛んでもおかしくないと、個人として考えたり致します。ただし、それに依って人は豊かになり、国力が増大すると云うのもありますから、何がいけなかった等と思い込みの発言等は難しい事であります。進展のスピードは科学や化学、様々の分野で見られ、その進歩に驚きます。本年の異常気象やウィルスの問題等を体験致しますと、冗談の様に地球や宇宙が怒っていると云って仕舞いたい程でありますが、一人一人、足許を見詰めて大切に生きて行き、感謝の日々を送る、地球に生きる人間の心がけかとも思います。

 さて、八月旧盂蘭盆会の御供養が人々の心を籠めて行なわれました。真摯な想いがしっかりと届いたと申し上げます。また九月秋彼岸会は本年最終の御供養を行います。それぞれの御身内御先祖様と親しく想いをお伝えする、本年最後の皆様と御一緒に御供養する祈りであります。七代辿ると直系傍系併せて二千人程の御先祖様がおられると云います。せいぜい祖父母くらい迄しか現実には会う事が出来ませんが、自分達がお会いした事のない御先祖様とのお話であります。長い年月の流れの中には様々な歴史があったと思いますが、正しい血筋を残し伝える為には、今生きている自分の生き方を顧みて大切に考える事が重要だと思っています。折角繋がった血筋血統を栄えあるものに務めたいものであります。

 さて、最近の報道で、都会を離れ郊外や地方の農地に移って野菜を作り、大きくは米の栽培等にも手を広げて、自然の力に依る生き甲斐を見出している若者が増えているとありました。確かに新しい生き方で、また地球の再生にも役立ち、素晴らしい事だと思いますし、日本の自給率の向上にも貢献する事になりますから、決断した人達の勇気と勢いにエールを送りたいと思いますが、どの様な世界にも並々ならぬ努力が必要です。色々確かめながら、挫折する事なく、日本に緑が一杯の地が増える事を祈りたいと思います。

 若い頃、自分もいずれ老いて行くなどと考える事はありませんでしたから、年を重ねますと、自分の歴史を悔む事があるかもしれません。自分を大切にと前記致したのは、それも含めての心がけと思い、勢いだけの人生ではない、実のある日々を送って戴きたいと思い、重ねて記します。自分に甘くではなく、大切にであります。

少しも不思議な事ではありませんが、一年毎に年を重ねるのを自覚する様になるのは、五十歳六十歳を過ぎてからであると思います。落胆したり、苛々した気分になるのは、人間の常です。私が口を酸っぱくして運動を、体操をと申し上げ増すのは、その老化を止める事は出来なくても、何年も遅く出来るからであります。頭脳も同じであります。その為には、自分勝手な思い込みに走らず、常に第三者的なクールな思考を持ちたいものであります。私の許に学びに来られる方達が活き活きお若いのは、その考え方を辿っておられ、学んでおられるからと思っております。