春
三月に入り、庭の草木も活き活きして新芽が見えて来ました。寒い日もあれば、日中十度を越す暖い日があったり、早春とは良く申したもので、未だ春の実感がありません。しかし、梅が咲き、桃が咲き、ピンクの花びらが舞い出しますと、自然に新しい気持ちになるものです。
三月四月となりますと、学校の受験や入学等の話が多くなります。親心とは色々な場面に現れるものです。学齢についても三月後半に生まれた子は前年四月以降に生まれた子供より一年近く成長が遅れていますから、出生届けを翌四月に提出して体力の差を調える親もおられた様に聞いております。一年と云う間隔は確かに大きいですから、親の想いは良く解ります。その様に、生まれたその日から親は細かい事までこの心配をするものであります。また自分も生み育てた両親や祖父母の事も形こそ色々でも記憶に残っていない人はいないだろうと思います。血縁とは貴重なものであります。
三月と九月のお彼岸は毎日仏壇に香を焚き手を合わせる日常とは異り、改めて自分の一切の血筋に祈る日であります。墓参をし、逝った人達をお慰めする習慣は、人としてけじめを身に課す事にも繋がり、日本人の人格を表すものとして良い風習だと思いますし、それを常としておられる方の御家庭は、殆ど安定した繁栄をしている事に、やはり魂の強さを感じます。再三申し上げておりますが、自分は血と身体と思考を戴いていると云う認識を大切な芯として心に留めておいて戴きたいと思います。
ある青年がおります。随分前に来訪されてから色々御相談を受けたり、アドバイスをして来ましたが、感銘を受けている事があります。一年に一度必ず服装を調えて一人で訪れ、御自分の祖先の御供養を私の理趣経奉経で祈られる。それはこの十年変わらず行われる事です。自ら決めて行なうのは、言葉では簡単に言えますが、中々に努力の要る決め事の難しい行動だと思いますが、その人の生き方は家族安泰と幸せを与えられている様に思います。
最近は筋とけじめを知らない人が多くいる事に気付きます。罰当たりにも「死んだらお終い」等と言葉にする者もいて、その言葉がどう云う思考で発せられるようになったのかを知りたくなったりします。確かに現実はそうかもしれないと、表面だけの感じ方やその奥の様々な想いは推測出来ますが、私がいつも申し上げております様に身体はなくなっても魂は消えない、自分が今あるのは己の力だけではない事を知るのが、人間としての重い意味を持つ事だと思っております。同じ考え方で、自分が曾て会い、記憶に残っている両親や祖父母、血縁の方達への御供養のみならず、辿って昔からのお会いした事のない御先祖でも、自分に遺して下さった血筋に対して、同じ様にお慰めすべきではないかと、折りに触れて考えております。魂のある限り、子々孫々を守られているのですから、一年に一回代々の御供養をさせて戴くのも家運隆盛に繋がって行くのではないかと思います。私が学生時代、青山墓地で危うい命がけの思いをした時も、守ってくれたのはお会いした事もない何百年も前の御先祖様でした。その時を機に、私は初代からの御先祖を貴く戴き、経を唱え、手を合わせておりますし、充分なお力を戴いております。
人生、楽しくなければ生きている意味がありません。ストレスを溜めない様に、また元気に日々を豊かな気持ちで過せたらと思います。もう春です。
毎日、身体と頭を動かし、自分を信じて行きましょう。
元気なら何でも出来ます。